1/17~19に、この舞鶴の地にもラジオ
「FMまいづる」~復興から学ぼう 新しい町づくり~を立ち上げるべく、宮城県 石巻市・女川町、 福島県 南相馬市へ
臨時災害放送局とはどのようなものなのか視察に行ってきました。
☆ちなみに臨時災害放送局とは・・・
未曾有の災害に見舞われた被災地の中での住民への情報伝達手段として、
許可を受けて、臨時に開設されるFM放送のラジオ局のこと。
まず向かったのは宮城県にある女川町。
「女川さいがいFM」の主な番組内容は、町からのお知らせやライフライン情報、
町民からのリクエスト、インタビューなどを行い、町民の声や意見を共有できる
「場」となって、新しい町づくりの一翼を担う復興メディアとして機能していき
たいと考えておられるとのこと。でした( ´ω`)フムフム

又、地震があった日、津波の到来をテレビよりラジオの方が早く情報が伝わって
いたとゆうこと。地域との密接の大切さ。等など・・
色々と勉強させて頂きました。有難うございました!!
その後、被災地の現状を見に行きました。
[宮城県石巻市立大川小学校へ]全校児童108人の7割に当たる74人の児童と10人の教師が犠牲となりました。
「空白の50分」の真実は・・・

大川小学校

津波によって倒された渡り廊下

津波が来たとされる午後3時37分で止まっている校舎の時計
[女川町へ]特に被害が大きかったのは平地が多く外海に面した東側。
このエリアに役所やフェリー乗り場などの施設が集まっていたため津波で町の機能が
一気に失われました。
この辺りはほとんど更地化されていますが、残った建物がすべて横倒しになっていました。

女川サプリメント

江島共済会館

その他、女川町観光協会の事務局長、㈱高政の高橋正樹さん、石巻西高等学校の校長、
カトリック東京ボランティアセンターのスタッフの方、ラジオ石巻の方、南相馬ひばりエフエムの方、等・・
沢山の方とお会いし、色々なお話をさせて頂きました。貴重なお話し有難うございました。
実際に被災地を訪れてみて、まだまだ復旧・復興していない現実。原発の恐ろしさ。
考えさせられることはたくさんありました。
「興味本位でもいいから被災地を見に来てもらってあの時の事を話せるようになった
私たちから話を聞いて欲しい。」
このような現実を受け止めながら、被災された方々の思いを少しでも共有したいと思います。
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